カメハメハ4世(幼名 アレクサンダー・リホリホ)(在位1854-1863年 9年間)
摂政だったキーナウの次男だったが、3世と養子縁組していたため即位。
若い頃に英米を訪問した際に英国では国賓待遇だったのに対し、米国では奴隷と間違われ冷遇された。
この経験が親米路線から親英路線への転換の要因の1つとされている。
カワイアハオ教会で挙式を挙げたエマ王妃と共に英国国教会に入信。
米国で油田が発見され、捕鯨からサトウキビへと産業の転換も行った。
外国人が持ち込む疫病に免疫が無かったハワイ人、人口減少に伴う労働力不足が深刻化していく。
エマ・ルーク
(カメハメハ4世の王妃 1836-1885年)
カメハメハ1世の遠縁。また1世の参謀だった英国人ジョン・ヤングの孫。
1854年に4世と結婚。
叔父のジョン・ヤング2世からヌウアヌ・パリの「サマーパレス」を譲り受けた。
欧米人が持ち込む疫病に対し免疫が無いハワイ人の人口が減少していくなか、医療の必要性を感じ1859年にクイーンズ・ホスピタルを設立。
市民の家を一軒づつまわり寄付を募って設立された病院は当初18床のベッドのみでしたが、現在は4000人以上の人が働く一大医療施設です。
(1967年にクイーンズ・メディカル・センターに改称されました)