プリンス・クヒオ(ジョナ・クヒオ・カラニアナオレ・ピイコイ)(1871-1922年)
カウアイ島コロアの生まれで、カウアイ島の賢者カウムアリイのひ孫。
カラカウア王の妻カピオラニ王妃とは従弟。
1893年、21歳の時にリリウオカラニ女王の退位を経験し、1895年に王権復興のための蜂起に参加する。
この蜂起によりリリウオカラニ女王は幽閉され、クヒオも反逆罪で1年近く収監される。
1901年にハワイアンの権利を守るために結党し、1902年にはハワイ準州選出の米国下院議員に選出される。
ハワイアン初の政治家として米国議会に出席し、ハワイアンの権利を守るために尽力した。
ワイキキ・ビーチに「プア・レイ・ラニ(天国のレイの花)という大邸宅を所有し、生前から一部を公開していた。
1922年に死去したのち、ワイキキにあった全ての所有地を市へ寄贈。
1940年にクヒオ・ビーチ・パークができた。
ハワイアンの為に尽力し多くの市民に愛されたクヒオの誕生日、3月26日は「プリンス・クヒオ・デー」として州の祝日になっている。