カイウラニ王女(1875-1899年)
スコットランド人の父とカラカウア王の妹、リケリケ王女の娘。
カラカウア王に子供がいなかったため、生まれてすぐにカラカウア家の養女になる。
カラカウア王が日本の皇族との縁談を申し入れた時は5歳だった。
1889年にイギリスへ留学するが、1893年1月に起きた米国系白人によるクーデターの知らせを聞きニューヨークへ向かった。
ハワイアンを野蛮人だと思っていたニューヨーク市民は、気品と知性に溢れたカイウラニ王女の感動的なスピーチに魅了されたといわれている。
この事によりクリーブランド米大統領との会談が実現し、「米国併合はハワイ人の意志ではない」と判断した大統領が併合を拒否した。
1897年に留学を終えハワイへ帰国した王女を出迎えに、港には多くの市民が集まったと言われている。
1898年病気により23歳で死去。
王女が幼少期を過ごした家は大きな菩提樹があったことから「アイナハウ(ハウ・ツリーの土地)」と呼ばれ、現在はシェラトン・プリンセス・カイウラニ・ホテルが建っています。
王女は孔雀(ハワイ語でピカケ)が好きでたくさんの孔雀を飼っていました。
王女が亡くなった時には王女がかわいがっていた孔雀の声が町中に響き渡り、人々はその声で王女の死を知ったといわれています。