リリウオカラニ女王(在位1891-1893年 2年間)
カラカウア王の妹。王位就任直後に姪のカイウラニ王女を後継者に指名。
米国系勢力との対立により政情不安が続くなか、カラカウア王以上に王政復古政策を推進。
1893年に米国系議員の休暇中に王党派議員らと自らの内閣不信案を提出、白人議員不在の議会で新内閣を組織し、ベイオネット法を破棄して新しい新憲法を公布するという強硬手段を取った。
これに反発した米国系白人は米軍の出動と女王の糾弾を要請し、最高判事だったドールを代表にハワイ暫定政府を樹立して対抗。
女王に退位を迫り監禁、女王は退位した。
ハワイでのクーデターを聞いたカイウラニ王女(英国留学中)の尽力により、クリーブランド米大統領がハワイの米併合を拒否。
1894年米国系白人のハワイ暫定政府はハワイ共和国樹立を宣言し、初代大統領にドール氏が就任。
1895年ハワイ人王権派が武装蜂起するが数日で鎮圧される。
この件にリリウオカラニ女王は関与していなかったが、武器を隠し持っていたとされ逮捕された。
一緒に逮捕された多くの王権派の人命と引き換えに王位の廃位に同意、イオラニ宮殿に幽閉される。
1896年に幽閉を解かれたリリウオカラニは米国を訪問し、クリーブランド大統領と会談。
門外不出だった創世神話「クリムポ」の英訳を公開した。
1917年死去。