オアフ島のビジネス街、ダウンタウンにはハワイの歴史を感じる観光名所がたくさんあります。
最近はオシャレなカフェやレストランもできています。
週末や夜は人気が無くなりますので、注意してください。
1795年にハワイ王国樹立宣言をし、王位に就いたカメハメハ大王(1世)の銅像です。
1883年にカラカウア王により建てられました。
イタリア・フィレンツェで制作されたが、運搬中にチリ沖で難破し海に沈んでしまいました。
再度制作されたものがこの像です。
ちなみにお顔はカメハメハ大王とは似ておらず、当時の人気俳優の顔をモチーフにしたとか・・・
沈んでしまった像はその後引き揚げられ、カメハメハ大王生誕地の近くの町(ハワイ島・ハヴィ)に設置されています。
ハワイ島ヒロにもカメハメハ像があるので、ハワイには3体の銅像があります。
この日は6月11日でキング・カメハメハデー(カメハメハ大王生誕祭)だったので、たくさんのレイやお花が捧げられていました。
アメリカ合衆国で唯一の宮殿です。
カメハメハ4世の頃に建造されましたが、1882年にカラカウア王により現在の場所に石造りで建てられました。
建設当時はハワイ初の照明・水洗トイレ・シャワー・電話がついた建物でした。
1898年のアメリカ併合後から1968年までは議事堂として使われていました。
庭では1883年にカラカウア王の戴冠式が行われました。
2階には1895年から1年間、リリウオカラニ女王が幽閉された寝室があります。
ほぼ毎週金曜正午から1時間、庭でロイヤル・ハワイアン・バンドのフリー・コンサートが行われています。
ロイヤル・ハワイアン・バンドは1836年にカメハメハ3世により結成された王室専属楽団です。
アメリカで唯一の王立楽団として今も活動が続いています。
写真はキング・カラカウア・バースデー・セレブレーション(11月16日の生誕祭)が行われた時のイオラニ宮殿です。
ハワイ州立旗で飾り付けされていました
カメハメハ大王像の後ろに立つ建物です。
ハワイ語で「天界の王の住む家」という名前で、現在は最高裁判所です。
カメハメハ5世の住居として1872年に建設が開始され、1874年に完成。
その時すでに5世が死去していたため官庁舎として利用されました。
館内には法律博物館があるそうです。
1928年に建設されたスペイン風の建物、ホノルル市庁舎。
12月初旬から年明けまで大きなクリスマスイルミネーションやMr&Mrs,サンタクロースが飾られることで有名です。
1842年に建てられたオアフ島初のキリスト教教会です。
「太平洋のウエスト・ミンスター寺院」として知られています。
地元労働者や宣教師により集められた14000個のサンゴ礁ブロックを使用しており、夕日を浴びると外壁の色が変化するそうです。
塔の時計はカメハメハ3世が1850年に寄贈したもので、3世の名前から「カウイケアオウリ・クロック」と呼ばれています。
入口の右側に第6代国王・ルナリロの王廟があります。
歴代の王のお墓はヌウアヌ・パリのロイヤル・モーソリアムにありますが、「人民のそばにいたい」とのルナリロ王の要望を受けてここに造られました。
教会の左側には名前の由来となった泉があります。
ハオという王女がこの泉の水を好み、水浴び等に使用したことから「ハオ王女の聖なる水」=「カ・ワイ・ア・ハオ」という名前になりました。
毎週日曜日には英語とハワイ語で礼拝が行われています。
ダウンタウンとチャイナ・タウンの境目にある劇場。
1922年にオープンし、「プライド・オブ・パシフィック」と呼ばれています。
劇場ではバレエ・オペラ・ミュージカル・フラなどが上演されている。
客席はイタリア風の馬蹄形でアメリカの歴史的建造物として認定されています
1852年にサトウキビ農園の契約労働者としてハワイに渡った中国移民。
労働契約が切れた人達が住んで中国人街を形成しました。
チャイナ・タウンと呼ばれていますが、ベトナムやマレーシアなど様々な国籍の方々がお店を出しています。
中華料理店はもちろん雑貨店、マーケット、レイ専門店などなど。。。
近年ではカフェやクラブ、ギャラリーも増えています。
✿チャイナ・タウンは店じまいが早いので夕方から夜は人通りが減り、大変危険です。
くれぐれもお気を付け下さい。
某モヤモヤする番組ですっかり有名になった【ハワイ出雲大社】です。
チャイナ・タウンの端にある川を渡ったところにあります。
大社横の川沿いの道端では麻雀らしきものをしているオジサン達がたくさんいてチョット怖いです。出雲大社前の橋(ノース・ククイSt)を渡るようにしましょう。
中に入ると日本です。左脇にある社務所でお守りや御朱印が買えます。
建物は新しそうで綺麗ですが、2016年で110周年を迎えた歴史あるところです。
戦時中は、他の神社仏閣と同様に土地を摂取され解散に追い込まれました。宮司は日本人コミュニティーのリーダーとみなされ、アメリカ本土で抑留されました。終戦後1946年のお正月に近くの倉庫で再開し、1952年に1万人以上の署名活動の末に土地の返還が認められました。
サンフランシスコ=ハワイ間の定期豪華客船就航の翌年、1926年に観光時代の幕開けの象徴として建てられました。
以後40年間オアフ島で一番高い建物でした。
観光客を歓迎するシンボルで、船が出港するときには「アロハ・オエ」が演奏され船旅客を見送ったそうです。
1994年にアロハ・タワー・マーケット・プレイスがオープンしましたが、昼間でもあまり人通りがありませんでした。。。
商業施設は無くなり、ハワイ・パシフィック大学の寮や研究室が入るそうです。
ディナー・クルーズはこの近くの埠頭から出航します。